母ちゃん。
札幌市北区地下鉄麻生駅の美容室。
フレンズ麻生店の尾田川です。
ふいに思い立ったので、僕の母ちゃんの事を書きます。
唐突ですが、僕は記憶力があまりありません…
だから、母ちゃんとの記憶も結構曖昧…
僕の母ちゃんは、ずっと仕事をしていて休みの日の昼間はいつも昼寝をしていた記憶。
友達っていう人は、僕が知ってるだけで3人。
熊本県出身なんだけど、母ちゃんが熊本の方言を使っているのは聞いたことが無い^^;
婆ちゃんとか母ちゃんの兄弟と話してる時も標準語だった。
なんでだったんだろう??
B型全開の母ちゃんは、人の話はあまり聞かずにマイペースな人だった。
とにかく大変な人生だったと思うんだけど、愚痴っていうものは聞いた記憶は全く無い。
※ウチは両親が離婚してるけど、同じ相手と再婚してるっていう希なケースでした。
そして、また離婚してる…
基本的に放任だった。
母ちゃんの定位置は、テレビの前の大人1人が寝転ぶのがやっとの位置。
僕が美容師になって、帰りが遅くなってもいつもそこでテレビをつけっぱなしで寝てた。
僕が帰ると、むにゃむにゃしながら
“ご飯食べる??”
っとかって、言って起きて
うどんとか作ってくれた。
僕は本来愚痴っぽい性格なので、母ちゃんは僕の仕事の愚痴をよく聞いてくれてた。
人間だから愚痴くらい言うと思ってくれていたのか、
そんな事言うなら仕事辞めたら?
って言われたことは無い。
“手に職を付けなさい”
“人には迷惑をかけてはいけない”
って事はしょっちゅう言われた。
人に迷惑をかけることはあったが、母ちゃんはいつも僕の味方をしてくれてた。
僕が、姉ちゃんと喧嘩しても後でこっそり味方してくれてた(´・ω・`)ショボーン
女の人に口で言ってもかなわないから、上手く受け流しなさいって教えてくれたのは母ちゃんだった…
僕が働くお店には必ず沢山の差し入れを持って来てくれた。
マックのハンバーガーを30個とか買ってきてくれる買うだけでも大変なことを来る度にしてくれてた。
家から1時間くらいかかるお店に…
背が低く、シャンプー台に寝そべっても首が届かなく凄くシャンプーしずらかったな〜*ˊᵕˋ*
北海道に引っ越すことを決めた時は反対はしなかったけど、
土壇場で、やっぱり行って欲しくないって言われたときはちょっぴり申し訳無い気持ちになった…
息子が生まれた時に体調を崩していた母ちゃんは、お医者さんの反対を押し切って北海道に来ちゃったり。
飛行機に間に合わなかったり。
基本的に無理をするけど、人にはそう感じさせない人だったんだと思う。
母ちゃんが泣いてるのは僕は見た事が無い…
(姉ちゃんはあるらしい)
その後、病気が進行して普通に話しが出来なくなってしまったので母ちゃんには聞きたいことは沢山あるけど聞けなくなってしまった。
母ちゃんと父との馴れ初めを聞いた時に、まさかのナンパだったって事は昔聞けたのは聞けて良かった事のひとつ。
母ちゃんに産んでもらって、育ててもらって、今の沢山の人の役に立てる仕事につけている
母ちゃんとは、離れて暮らしていてほとんど会えないし電話も出来てない…
元気な時の母ちゃんとの思い出は、少しだけどちゃんと覚えている。
もう一緒にお酒を飲むことは出来ないけど、一緒にお酒を飲んで楽しかった事は覚えているよ!
五年前は一人で歩けてたんだけど、病気って大変だよね…
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